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中国美術展(24) NHK公開セミナー「シルクロードの謎〜幻の古代都市発掘秘話〜」聴講記その1

1 概要

 兵庫県立美術館で平成17年8月13日(土)から10月10日(月・祝)まで「新シルクロード展」が開催される。
 それに先がけ、NHK公開セミナーということで、大阪市鶴見区で「シルクロードの謎〜幻の古代都市発掘秘話〜」と題して、小島康誉(こじまやすたか)氏の講演が開催された。



 壇上に登場されたのは、作務衣のような軽装の僧衣を着られた僧侶である。

 いきなり坊主が出てきたのでびっくりされたかも知れませんが、別にお経は唱えませんので安心してください。

 さて、皆さん、1問目のクイズです。ここ鶴見区のこのホールから、ダンダンウィリク遺跡まで直線距離でどのくらい、何kmあると思われますか?


 前面のパワーポイントの大画面には東アジアの地図が映し出され、日本列島の大阪あたりに赤い丸がつけられ、中国大陸のダンダンウィリク遺跡のあたりには「D」と記してある。
 挙手して回答した何人目かの人が4500kmと答え、小島氏から、シルクロード関係の本、写真集、CD等の中からプレゼントを贈られた。


 正確には4834kmです。
 なぜそんなことがわかるんだ。あの坊主、いい加減なこと言ってるんじゃないか、とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。
 これ何だか、おわかりになりますか?
(と、液晶ゲーム機のような機械を取り出される。会場から「GPS」という声あり)
 はい、その通り、GPSです。残念ですが、賞品はありません。
(会場、笑い)
 これには、以前調査したダンダンウィリクの位置がデータとして入れてあります。そして、私が先ほど、このホールの外でここの位置を計測しました。するとその2点間の直線距離が求められるのです。

 さて、私が今回、2002年にダンダンウィリクへ調査に行ったきっかけは三つのご縁があったと思います。
 一つ目は、これまでキジル千仏洞修復保存に関わってきたというご縁です。
 二つ目は、佛教大学ニヤ遺跡学術研究機構を設立し、調査研究してきたご縁です。
 三つ目は、安田順恵さんのご縁。この安田順恵さんというのは、薬師寺管主の奥さんであります。この方が、玄奘三蔵がインドに経文を取りに行った、その帰りのルートについて研究しておられる。この方が、一度ダンダンウィリクに行ってみたいとおっしゃったんですね。玄奘が通った道そのものではないけれど、その近くにあるものですから。何しろ普段から世話になっているもので、頼まれると断れんのです。
(会場笑い)

 まず、一つ目のキジル千仏洞ですが、
(写真を映し出す)かなり荒れておりまして、88年、89年に修復保存事業ということで1億円あまりの浄財、もちろん私だけじゃなくて、多くの皆さんから資金をいただいて、寄付をさせていただきました。


 小島氏の経歴等が、草の根ネット特集『ひと』第3回で紹介されている。小島氏は、ツルカメコーポレーションという宝飾店チェーンの創業者で、キジル千仏洞の荒廃ぶりに衝撃を受けたことがきっかけで、社長の座を捨て得度、以来、新疆の文化教育振興などに力を注いでおられるそうだ。


 次に、ニヤ遺跡の調査の関係ですが、1988年に初めてニヤ遺跡の調査に参りました。

 この写真はニヤ遺跡で発見いたしました”五星出東方利中国錦”というものです。
 五星というのは、火星、水星、木星、金星、土星のことで、何十年かに一度、この五星が東の空に一度に出るということがあるそうで、実に珍しい、いわばおめでたいことだとされています。
 それと、新疆というのは昔から位置的にどこの領土であるのか、なかなか微妙であったのですが、そこから”中国”と記した遺物が出たのは貴重だ、ということで中国の国宝に指定されました。

 
 小島氏は1988年に日中共同ニヤ遺跡学術調査隊に参加、以後も94年に佛教大学にニヤ遺跡学術研究機構を設立するなど活躍されている。上記発見は1995年。  

 なお、この「五星出東方利中国錦」については、ここ(京都新聞HP)を参照のこと。


 さて、三つ目の安田順恵さんのことですが、この写真をご覧ください。これは、ダンダンウィリクで壁画を発見した直後に撮ったもので、お祝いに砂漠でティーパーティーをしているところです。
 で、この女性が安田順恵さん。何と言いますか、全身青いでしょ。この方はとにかく青い服がお好きなんです。スリッパまで青いんですから。私は密かに”青の姫君”と呼んでおります。
(会場笑い)


 安田順恵さんは、例えば講演会の模様がここでレポートされている。


 ダンダンウィリク遺跡を最初に発見したのは、ヘディンで1896年のこととされています。もっとも”発見”と言いましても、最近の太陽系10番目の新惑星の”発見”みたいに、今まで誰も知らなかったものを発見したんじゃなくて、現地の人は知っていたものを西洋人が確認したってことなんですが。
 さらに、中国ではヘディンが発見したんじゃなくて、ヘディンを案内したガイドの中国人が発見したんだって言います。そう言われればそうですね。
(会場笑い)

 そして、1900年にスタインが調査しています。
 1928年にはトリンクル隊のボスハードが踏破したのですが、それから位置がわからなくなり、1997年の新疆の学術調査隊が調査しました。1998年には、外国の調査隊が無許可で調査をしています。

 そして私どもが2002年に調査したのですが、これは日本人としては初めてです。NHKが「シルクロード」で取材してるじゃないか、とお思いかもしれませんが、あれは現地の方に任せていて、直接は行ってないんですね。

 これは裏話なんですが、この写真の人物がスタインで、これが彼の護票、つまりビザです。
 スタインは、自分では西域探検に3回出かけたと語っていますが、実際は4回行っています。
 この写真は、南京から打電された中国政府の機密電報です。なぜ南京か、というと当時は国民政府だったからですね。
 内容は、”陰謀”とか”取消”とか書いてあるでしょう。つまり、スタインの探索行動がスパイ活動とみなされて、ビザを取り消して即刻国外退去させよという内容です。
 スタインは何とか逮捕こそ免れたのですが、不名誉なことなので、対外的にはこのことは伏せていたんですね。

 この写真はスタインが持ち帰ったものの中でも一番有名なもので『蚕種西漸伝説図』板絵です。
 画面左の侍女のような女性が、中央のお姫様の宝冠を指差しています。
 昔、ホータン王国が勢力を誇っていた頃、当時の中国に養蚕技術を教えてくれと頼んだのですが、国家機密とされていて教えてくれない。
 その後、ホータン王が中国からお嫁さんをもらうことになったのですが、王は彼女に蚕と桑の種を持ち出すよう命じ、彼女も未来の夫の言いつけを守って、冠の中に忍ばせてホータンへ持ち込んだんですね。
 関所でいろいろ持ち物検査などもあったと思いますが、さすがにプリンセスの冠の中までは調べなかったのでしょう。

 この話は、玄奘三蔵が『大唐西域記』に記していたのですが、それが真実がどうかはっきりしていませんでした。ところが、20世紀初頭にスタインがダンダンウィリクの遺跡から、まさにその伝説を描いた板絵を発見したということです。

 


 続いて、西域探検が19世紀末から20世紀初頭にかけて盛んに行なわれた歴史的背景について、お話します。それには二つの理由があると思います。

 一つ目は、領土争奪情報戦の性格です。
 当時は不凍港を求めるロシアの南下政策と、インドからのイギリスの北上政策とがちょうどこの新疆のあたりでぶつかったんですね。それで、直接的な武力衝突こそなかったんですが、地形その他の情報戦が戦わされ、スパイが活躍していました。

 二つ目の原因は、秘境ブームです。
 1899年にローマで第12回国際東洋学界が開催され、西域の秘宝がブームになったようです。

 日本の大谷探検隊がロンドンを出発したのが、1902年8月16日であります。その約半年前、1902年1月31日に日英同盟が結ばれました。つまり、当時日本はイギリス側、すなわち仮想敵国はロシアです。
 これでまだピン!と来ない方には、日英同盟直前の1902年1月23日に、青森の方で、陸軍の雪中訓練で多くの犠牲者を出した事件を思い出してください。そう、いわゆる八甲田山ですね。なぜ、そんな雪中行軍の訓練などをしたのか、というと、ロシアとの戦争では当然雪の中の戦いになるだろうと考えたからなんですね。

 こうした探検隊は、一面では軍隊の先兵のような役割も持っていたんですね。

  


 長くなるので、ここでいったん切ることとする。続きをお楽しみに。
 それでは、皆さん、お疲れ様でした。

 


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