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(No104) 頭塔
だいぶ前の話だが、オフ会のおり、たいへん博識な高木さんという方から奈良に頭塔というピラミッドみたいな珍しいものがあると聞いて以来、一度機会があれば・・・と思っていた。(なお、高木さんは山科玲児という名で「古美術とその他の話題」というタイトルは地味だが内容はものすごいHPを展開されている)
頭塔というのは「ずとう」と読む。
僧玄ム(げんぼう)の頭を埋めたから頭塔・・・という伝説があったが、現在ではお水取り(修ニ会)を創始した実忠和尚が神護景雲元年(767)に築いた土塔(どとう)がなまったのだという説が有力だ。
もっとも『仏像は語る』(著:宮元健次。光文社新書)では「藤原広嗣〜というのは、九州・大宰府の武将であったが、聖武天皇の側近である僧玄ムと吉備真備(きびのまきび)を成敗するといって、740年に兵を挙げ、朝廷に討たれた人物〜玄ムは、広嗣の乱の5年後の745年、広嗣の領地であった大宰府に流刑になり、翌年没したが、この玄ムの死が『続日本紀』によると広嗣の祟りとされ、玄ムの体はバラバラになって、新薬師寺周辺の地に降ってきたというのだ。
例えば、頭が落ちたという頭塔〜その他、玄ム塚と呼ばれる所が新薬師寺周辺にあり、特に頭塔はもと新薬師寺の別院『奥薬師』にあたる」とオドロオドロしくまとめられている。
入口は史跡の南側にある。近くの仲村さんという管理人の方に声をかけ、200円払ってリーフレットをいただく。
1.頭塔 南面
門を入り、階段を少しあがると、左手に看板がある。どちら回りでも別にかまわないが、自然に左手に回る。
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頭塔は最近までは木の生い茂る丘にいくつか石仏が顔をのぞかせていたのみであったが、その後の発掘調査で
(1) 一辺32mの方形石積み基壇上に7段の階段状石積みが築かれ、全体の高さは約10mであったこと、
(2) 奇数段には仏龕(ぶつがん)が穿たれ石仏が配置されていたこと、
(3) 内部には当初期の、もっと層数の少ない塔が残っていることなどがわかった。 |
整備方針としては、北半分は発掘調査、復元整備、そして南半分は現状保存となった。
よって、南側はこのように「小山」のような感じで残っている。
看板の近くには、いくつかの石塔。 |
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石塔の間にひっそりとあるのが、左下写真の如来三尊像。
2.頭塔 西面
西側へ回り込む。
上の方は見えにくい。
南側の現状保存されている部分と、北側の石垣が復元された部分との境界近く、右下写真のような如来三尊の石仏があった。
石仏の上には瓦屋根が設けられている。
今回の整備は平成12年度(2000)に完成したそうだが、そのおりに露出展示される石仏を直射日光等から保護するために鞘堂というものが設置されたそうだ。 |
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この三尊像の右に、樹の下にひっそりと小さめの石仏があった。如来樹下坐像らしいが、図像はよくわからない。
西北隅から西面を撮ったのが左上写真。1段目に小さい瓦屋根が三つ見えるが、一番右が先ほどの三尊像。その右の山の中に樹下坐像がある。
3.頭塔 北面
見学通路はウッドデッキのようになっている。
続いて北面へ。
右写真は、1段目の一番右だったと思う。
確か菩薩像と会場の解説にはあった。 |
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北面が見学施設としてはメインといえるだろう。一辺32mの全面が石積みで復元されているのは北サイドのみだ。
また、北面通路の中央には見学小広場として屋根がかけられ、解説のパネルが並び、ベンチも据えられている。
左下写真が北面1段目中央の如来三尊像。
北東隅から北面を中心に撮ったのが右下写真。
逆光なので光って見にくいが南面の木立が見える。
4.頭塔 東面 いよいよ最後の東面。
左下写真は、東面1段目中央の如来三尊像。
左下写真は、ニ仏並像。東面5段目の左端にある。
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高いところにあるので、うまく全貌を撮るのは難しい。 |
東面の南半分は石積みではなく、板の土留め柵で段がつくられている。
| 同じく東面5段目の右側が如来三尊像(右写真)。 |
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これも下から撮っているので下の方は写りにくい。
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東面を撮ったのが左写真。
奇数段、すなわち1段目、3段目、5段目、7段目に鞘堂の瓦屋根があるのがお分かりだろうか。 |
最上段、7段目の瓦屋根の左に五輪塔の上部が小さく写っているのがお分かりだろうか。
まったく、どうしてまた、こんなもんが古都奈良に・・・・って思わせる建造物である。
どうもお疲れ様でした。
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